こぼれ話(
その壱
)では、現存する最古の津山だんじり「簾珠臺」に関連した内容だったので、今回は昭和になって新造された山車について触れていきたいと思います。
江戸時代の津山城下町の主な祭りといえば、東部6町の大隅神社と西部27町の徳守神社の祭礼でした。当時、城下町とそれ以外の地域は厳密に区分され、武士、職人、商人は城下町に住むことになっており、商工業を営めるのは、城下町だけだったのです。
城下町に農地はなく、武家屋敷、神社仏閣、町屋で構成され、津山藩の顔という性格も持っており、町並み景観に対する藩命が度々出されています。例えば、火災で焼けた空き地が見苦しいので早く家を建てるように指示が出ていましたが、目処が立たず、とりあえず塀で囲って取り繕ったなどの話も伝わります。
また城下町の治安維持のため、関貫と呼ばれる木戸が設けられ、東の城下町への入り口となる入口関貫は、東新町の津山城の防衛のために道をわざと曲げて作られた「荒神曲り」=
写真右
=の東側に設けられています。
「津山まつり」が元々、大隅神社、徳守神社の総称だったことが分かるように県重文「津山だんじり」のほとんどが、この城下町内にある町内が保有しています。
東西の城下町に入る手前の街道沿いには、松並木が整備され東部には約130本、西部には約240本が植えられ、東松原、西松原の地名として残っています。城下町以外での商工業は禁止されていましたが、東部では出雲街道と因州往来が結ばれる古林田、東松原、玉琳など、西部では二宮などの「町端在分」と呼ばれる城下町周辺地域でも行われ規制を横目に発展していきます。
さて、祭りは町人の行事で武士は参加しませんから、城下町内であっても上之町や田町、南新座のように武家屋敷のあった町内には、だんじりがありません。逆に城下町の外であっても古林田、東松原のように商業が発達した町内にはだんじりが受け継がれています。
近年は、武家屋敷跡は住宅地として、城下町周辺地域も同じく住宅地として発達、人口も増え山車を新造して祭りに加わるようになりました。そして現在の「津山まつり」は、これら町内の新たな活力を得て歴史を守りつつ発展を続けています。東部では上之町七丁目、玉琳、太田、川崎などで「津山まつり」に参加してどの町内も既に20年以上が経っています。
写真上=川崎八幡神社の石灯篭と稲葉浩志さんのご実家、
イナバ化粧品店。小学6年生まで浩志さんは川崎の山車
に乗り津山だんじりに親しむ
写真左=川崎八幡神社にある稲葉浩志さんの名前が刻まれた石柱
20年以上も年を重ねるとそれぞれの山車に、それぞれの歴史が加わります。先日、B'zの稲葉浩志さんのご実家のイナバ化粧品店を訪ね、小学校の6年生まで川崎の山車に、今も子供たちが着る青い法被で乗っていたとお母様から聞きました。ご実家の前には川崎八幡神社があり、この八幡神社の氏子として川崎の山車「
八幡臺
」は「津山まつり」に参加します。稲葉浩志さんがこの八幡神社の氏子であることは、同神社の石柱からも分かります。そして川崎の山車は、稲葉浩志さんが乗っていたころと全く変わらぬ姿でご実家の前を練り、その少し先にある国道53号線につながる道も当時と同じく、
大隅神社関係
のだんじり11臺の東端の集合場所です。
また、この近くにあるホテルには、稲葉浩志さんとデビュー前のオダギリジョーさん2人が写った写真があるそうですが、オダギリジョーさんが小中高校を過ごしたご実家がある津山市沼にも「津山まつり」参加のだんじりではありませんが、斎神社の秋祭りで「子供だんじり」(子供たちが曳く飾り山車)が可愛らしく町内を練ります。町内の同級生からオダギリジョーさんとこの山車に一緒に乗ったり、曳いたりしたと聞きました。同級生といえば、オダギリジョーさんと次長課長の河本準一さんは新設された弥生小に通う前の津山東小でクラスメイトだったそうです。
そして、何か不思議な縁を感じるのですが、この沼の山車の写真は、同町内に本店を置く稲葉浩志さんのお兄さんが経営する明治初年の創業、津山の老舗和菓子店「くらや」さんから提供していただきました。
稲葉浩志さん、オダギリジョーさんも幼いころ、今の津山だんじりに乗る子供たちと同じく「ソーヤレ」の掛け声や鐘、太鼓を叩いていました。大人だけの祭りではなく、子供を参加させる祭りだからこそ、津山を離れて長らく経つ2人ですが、故郷で過ごした思い出の中にきっと「津山だんじり」があるはずです。200年もの長い年月を掛けて年齢、性別に偏ることなく、地域の将来を担う子供たちを大切にしてきた「津山まつり」の
伝統
が、津山の枠を超え、日本の音楽界、映画界を担う2人の記憶にあり、同じく現在、祭りに参加する子供たちの中から400年続く「津山まつり」の歴史に今後も次々と津山、そして日本を担う逸材が生まれ刻まれていくことを期待せずにはいられません。
写真=オダギリジョーさんが親しんだ沼の飾り山車(斎神社)。写真は稲葉浩志さんのお兄さんが経営する「くらや」さんから提供していただきました
大隅神社関係、徳守神社のだんじりが統一行動で集合する津山城大手口の冠木門南下の「津山城址入り口」にある津山観光センター(写真左)内には、稲葉浩志さんの津山市民栄誉賞贈呈時(2000年3月2日)の写真(左下、下)が飾られています。
贈呈時、稲葉さんは「なかなか帰れないが、ファンが津山に行ってきたと教えてくれる。これからも津山の観光に貢献したい」と話していたと当時のメディアが伝えています。
■オダギリジョーさんのお母様ゆかりの「くくりざる」
城東地区の知人宅を度々訪れていたオダギリジョーさんのお母様が城東町並み保存地区を訪れた観光客の皆さんに、より城下町・津山の風情を楽しみながら記憶に残してもらおうと提案して始まったのが、作州城東屋敷などで見られる町屋の軒先ある「くくりざる」です。軒先に吊るすと縁起が良く、願いを書いて添えておくと叶うとされ
「またきんちゃいなあ 待っとるけんなあ」など津山の方言で願いが添えられています。
写真は、城東町並み保存地区にある作州城東屋敷の軒先に吊るされた「くくりざる」。隣は当「津山だんじり保存会館」のポスター。作州城東屋敷には、当会館が設置したタッチパネル式情報端末「
津山だんじりデータベース
」でいつでも自由に津山まつり参加の全だんじりを見ることができるほか、裏手に併設されている「
だんじり展示館
」には県重文のだんじり4臺が保管・公開されていて実物を見ることが可能です。ともに入館無料。
>>こぼれ話・その壱-
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