美しい新緑が目にまぶしいGWの前半に“津山型だんじり”が出動していることを、ご存知でしょうか。初夏の津山に「ソーヤレ」の声がこだまします。若葉の中を練る“津山型だんじり”はある意味で新鮮でもあり、季節感でいえば不思議な感覚になります。
 この風薫る季節、GWに出会うことのできる“津山型だんじり”は、中山神社(津山市一宮)の春季大祭「お田植祭り」に出動していた鵜羽臺(一宮町)鵜羽臺(東一宮町)山方町の2臺の山車と1臺の飾り山車です。
 ただし、「津山まつり」の大隅神社関係、徳守神社のだんじりとは異なり、曳き手の順列や拍子木と先導役、屋根役等は全く見られませんでした。曳き手に子供も交じり、どちらかというと「子供だんじり」に近い感じです。中山神社の「お田植祭り」は長い歴史を持つお祭りですが“津山型だんじり”の出動自体には、あまり歴史はありません。
 この山車が出動する毎年4月29日に行われる中山神社の春季大祭「お田植祭り」は、鳳輦(ほうれん)に御神霊を移し、五穀豊穣を祈念して、宮司等神事の後、氏子(13町内の有志でつくる中山神社ご祭礼神事保存会)により「鍬振り神事」が奉納されます。
 鎌倉時代から続く「鍬振り神事」は参道の石畳の両側に雌雄の獅子(獅子方各6人)が向かい合い、横笛・太皷も両側に並び、黒烏帽子に白装束で木製の鍬を持った鍬方12人が石畳を水田と見立てて、笛と太皷に合せ3列で鍬を振り上げたり回したり、足を躍らせるように地中に鍬を打つ仕草を繰り返します。
 各町内の山車は、「鍬振り神事」が行われる前に中山神社に集合。見物客と山車に乗っていた子供たちや曳き手、関係者らで賑わいを増し、鳥居から神門までの参道に並んだ屋台には、行列が出来て参道も混み、祭りのムードは一気に高まります。
 曳き手の町内の方に尋ねると、これらの地区は子供の数が増え、山車に乗る子供の入れ替えも2回から3回行うそうで、子供たちが楽しむための山車といった印象を受けました。理由は不明ですが鵜羽臺という同じ臺名の2臺は伝統的な「津山だんじり」の形を継承していますが、伝統ある祭りの山車という観点で、ある臺には台車に動力装備があり残念です。
 このGWにも見られる“津山型だんじり”ですが、中山神社の秋季大祭にも出動するそうで、この地区の子供たちは年2回、だんじりに親しむ機会が設けられているだけに、大人がもっと参加して順列を整え曳き手としての若者の参加が多ければ、さらに町内や山車に誇りが生まれ、伝統ある「鍬振り神事」とともに発展していくのではないでしょうか。
山 車 飾り山車
鵜羽臺(一宮町) 鵜羽臺(東一宮町) 山方町

<中山神社春季大祭「お田植祭り」>
鳳輦(ほうれん)に御神霊を移し、五穀豊穣を祈念して、
宮司等神事の後、氏子(13町内の有志でつくる中山神社
ご祭礼神事保存会)により鍬振りの神事が奉納されます。

 




<中山神社>
 創建は慶雲4年(707)、平成19年に1300年となる由緒ある古社で、美作一の宮。戦国時代の戦火で焼失するが永禄2年(1559)に尼子晴久によって再建された本殿(国指定重要文化財)の入母屋造妻入は、中山造と呼ばれ、美作地方の神社建築の基本となっている。
 また参道入り口にある寛政3年(1791)に造られた花崗岩製の鳥居(高さ約11メートル)も中山鳥居として鳥居の形式の一つとなっている。神門は津山城から移築されたもの。








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