津山まつりで囃子といえば、鉦と太鼓がまず挙げられます。この津山だんじり囃子は津山松平家の陣太鼓であることは、以前、触れていますので、今回はもう一つ忘れてはならない拍子木について歴史を紐解いていきたいと思います。

 文化6年(1809)に造られた徳守神社大神輿の巡幸で現在、輿丁が持つ唯一の鳴り物は拍子木です。昭和初期に撮られた複数の大神輿の写真にも拍子木を持つ輿丁の姿が写っているので、神田が輿丁を務めていた時から拍子木が名前通り担ぎ手の拍子をとっていたことが分かります。

 さて津山のだんじりは元々、舁き山(担ぎだんじり)だったことも以前、触れましたが、これは慶長以来、徳守神社の神輿神田地域の人達だけで担ぐことになっており、何百年もの間、他の氏子町内は大神輿を担ぎたくても担げませんでした。そこで城下の各町内は大神輿に乗った神様を出迎え、随行する担ぎだんじりを建造して祭りに参加したのです。

 だんじりも大神輿を真似て担ぎ手の拍子をとるために拍子木を使うのは当然の成り行きで、台車に乗った現在では、だんじりを指揮する先導役などが拍子木で合図をおくるという形になりました。だんじりが担がれていた時は、先導役はだんじりのすぐ近くで指揮を執っていましたが、台車に乗ってからは曳き綱の長さ分だけ、だんじりから離れた為、より拍子木の打ち方が重要になりました。

 ある町内の長老が拍子木の打ち方を指導する場にお邪魔させてもらったことがありますが、近くにいると耳がキーンとするほど響き渡る拍子木の音にびっくりすると同時に、現在とは異なり、頭の上で大きく拍子木を打ち続けた在りし日の先導役は当然、腕っ節が強く統率力のある若者が務めていたのだろうと想像できます。

 津山松平家の大名行列が起源の「田町奴行列」も拍子木が重要な鳴り物のひとつです。笛(ホイッスル)や小ぶりの拍子木も気軽でよいのでしょうが、その分だけ祭りから何かがなくなってしまう気がしてなりません。

 ちなみに大隅神社の神輿も、輿丁が拍子木で拍子をとっていましたが、平成22年の修復お披露目の時から、掛け声も含め代々受け継がれた伝統はなくなり、今は徳守神社大神輿だけが、城下の伝統を守っています。


写真=上から先導役の拍子木、昭和初期の大神輿の拍子木、現在の大神輿の拍子木

■徳守神社、大隅神社の先導役たち■



桜子連(河原町)


吹若連(吹屋町)


安若連(安岡町)


西松原


蝦若連(西今町)


福若連(福渡町)


堺町


鯱若連(小性町)


宮脇町


勝子連(勝間田町)


東桜子連(東新町)


巌獅子組(中之町)


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